知財高判平成29年8月22日、平成29年(行ケ)第10006号、第10015号
◆判決本文
【請求項1】…外挿線Aと…外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であり,…ランフラットタイヤ。
…外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は,補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって,かかる 交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると,外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって,ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない。
【請求項6】…動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3メガパスカル(MPa)以下であり,天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。
…相違点1は,本件発明6において,サイド部の補強用ゴム組成物について,「180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3MPa以下」と,その弾性(剛性)の数値範囲を特定するものである。
そこで,まず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができるか否かについて検討する。…
以上によれば,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたものにすぎず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたということはできない。したがって,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができたということはできない。…
ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物について,高温における剛性維持が求められていたとしても,サイド部の補強用ゴム組成物のランフラット走行時における温度を,どの範囲で設定するかによって,その組成物に求められる特性は変わるものである。そして,前記のとおり,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにとどまるのであるから,この温度範囲を超えた温度を前提としてサイド部の補強用ゴム組成物の特性を検討しようとは考えないというべきである。…
原告は,再現実験…によれば,引用例1に記載された各実施例におけるゴム組成物が,本件発明6の数値範囲を満たしていることが認められる旨主張する。しかし,引用例1に記載された各実施例におけるゴム組成物が,本件発明6の数値範囲を満たしていたとしても,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたことにはならない。
1.概要
本件は、発明の名称を「ランフラットタイヤ」とする特許第4886810号の特許権について無効審判が請求され、特許庁は、請求項1等に係る発明は明確性要件違反であり、請求項6等に係る発明は進歩性を有すると審決した。
これに対し、本判決は、請求項1等に係る発明は明確性要件違反ではないと判断して、一部無効とした審決を取り消した。他方、請求項6等に係る発明については、本判決も、進歩性を有すると判断した。
(1)明確性要件について
請求項1は、「【請求項1】ゴム補強層によって補強されたサイドウォール部を有し,/該ゴム補強層が,昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であり,天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。」(下線部は、筆者が附した。)である。
審決は、動的貯蔵弾性率が「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線A」及び「急激な降下部分の外挿線B」の引き方如何によって交点の温度がずれることを理由に、明確性要件違反と判断した。
これに対し、本判決は、「…外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は,補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって,かかる交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると,外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって,ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない。」として、同発明が新規の課題に着目してなされた発明であること(進歩性の根拠ともなっている)を述べた上で、外挿線A及び外挿線Bの引き方により交点温度が1℃ずれるとしても、明確性要件違反ではないと判断した。
本判決は、明細書中に外挿線A及び外挿線Bの引き方が説明されていない点について、優先日当時の類似技術分野のASTM規格及びJIS規格においても外挿線の引き方が説明されていなかったことを指摘して、優先日当時の技術水準として、当業者は外挿線を引くことができたと判断した。後述するように充足論は別として、明確性要件については、優先日当時のJIS規格は、権利者にとって強力な根拠となる。
過去の裁判例を概観すると、数値(パラメータ)の測定条件により測定結果が異なる場合に、明確性要件違反と判断された裁判例は3件ある。知財高判平成25年(行ケ)第10172号(「渋味のマスキング方法」事件)は、スクラロース量の数値範囲との関係で「甘味を呈さない量」がどの範囲の量を意味するかが不明確であるとした。知財高判平成23年(行ケ)第10418号(「防眩フィルム」事件)及び、知財高判平成28年(行ケ)第10187号(「水性インキ組成物」事件)は、測定条件が明細書の記載又は出願当時の技術常識から導かれないとした。
このような過去の裁判例に鑑みると、数値の測定条件により測定結果が異なる場合に、明確性要件違反とされるのは、測定結果が実質的に異なる場合と思われる。本判決においては、当業者は外挿線A及び外挿線Bを引くことができたと判断され、その引き方如何によって交点温度が1℃ずれるという程度の差であったことから、過去の裁判例とも整合的であると考えられる。
もっとも、数値の測定条件により測定結果が異なる場合において特許権侵害訴訟にまで至ると、特許権者が勝訴した判決は極めて少なくなる。これは、充足論においては、「従来より知られたいずれの方法によって測定しても,特許請求の範囲の記載の数値を充足する場合でない限り,特許権侵害にはならない」として、被疑侵害者の測定方法が合理的であればその測定結果に基づいて非充足と判断されるからである。このような裁判例は4件あり、東京地判平成11年(ワ)第17601号(「感熱転写シート」事件)、東京地判平成14年(ワ)第4251号,東京高判平成15年(ネ)3746号(「マルチトール含蜜結晶」事件)、東京地判平成23年(ワ)第6868号(「シリカ質フィラー」事件)、東京地判平成24年(ワ)第6547号,知財高判平成27年(ネ)第10016号(「ティシュペーパー」事件)である。特に、「ティシュペーパー」事件は、明細書中にJIS規格が明示されていたにもかかわらず、JIS規格に規定がない7個の測定条件について、従来より知られたいずれの方法によって測定しても充足する必要があるとして非充足とされており、厳しい判決であるという評釈がある。他方、権利行使された特許に係る発明は、公知公用の無効理由を立証し難いパラメータ発明であり、そのパラメータも出願当時の規格を微修正したものに過ぎなかったことから、侵害訴訟において特許権者勝訴と判決することは躊躇される事案であったかもしれない。特許権侵害訴訟で、「従来より知られたいずれの方法によって測定しても,特許請求の範囲の記載の数値を充足する」か否かの審理に入ると全てのケースで特許権者が敗訴していることもあり、特許権者としては、明細書等又は技術常識から特許権者の測定条件が一義的に導かれると主張するべきである。被告の測定結果の“信憑性”を争う議論に拘泥してしまうと、過去のケースでは特許権者が全敗しているのである。
このような過去の裁判例に照らすと、本事案の特許に係る特許権侵害訴訟においては、外挿線A及び外挿線Bの引き方如何によって交点温度がずれる以上、「従来より知られたいずれの方法によって」外挿線A及び外挿線Bを引いても交点の温度が170℃以上という「特許請求の範囲の記載の数値を充足する場合でない限り,特許権侵害にはならない」ため、特許権侵害訴訟が提起されれば、この点は、充足性の立証において再度争われるものと予想される。
(2)進歩性について
請求項6は、「【請求項6】ゴム補強層によって補強されたサイドウォール部を有し,/該ゴム補強層が,昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3メガパスカル(MPa)以下であり,天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。」(下線部は、筆者が附した。)である。
本判決は、請求項6記載の発明と主引例(引用例1、甲1)との相違点は、「サイド部の補強用ゴム組成物について『180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3MPa以下』と,その弾性(剛性)の数値範囲を特定するものである。そこで,まず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができるか否かについて検討する。」と前置きをしている。このように、近時の裁判例の傾向として、数値限定(パラメータ)発明は、顕著な効果や臨界的意義を問題とせず、当該パラメータに着目することの容易想到性を問題とする裁判例が大多数である。
以上の前置きに続いて、本判決は証拠を逐一検討した上で、「以上によれば,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたものにすぎず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたということはできない。したがって,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができたということはできない。」と判断し、請求項6記載の発明の進歩性を認めた。
更に、本判決は、原告の主張に応答して、「ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物について,高温における剛性維持が求められていたとしても,サイド部の補強用ゴム組成物のランフラット走行時における温度を,どの範囲で設定するかによって,その組成物に求められる特性は変わるものである。そして,前記のとおり,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにとどまるのであるから,この温度範囲を超えた温度を前提としてサイド部の補強用ゴム組成物の特性を検討しようとは考えない」と判示し、発明の課題を「ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物」の温度範囲に着目したことと極めて個別具体的、限定的に認定して、従来技術と差別化した。このような傾向も、近時の裁判例の進歩性判断において顕著であり、プロパテントと評価できるものである。
更に、本判決は、原告の他の主張に応答して、「引用例1に記載された各実施例におけるゴム組成物が,本件発明6の数値範囲を満たしていたとしても,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたことにはならない。」と判示した。この点は議論があり得る。すなわち、引用例1の各実施例を再現実験して発明の数値範囲に入ることが立証されれば、進歩性欠如でなく、新規性喪失が問題となり得るからである。この点を如何に理解すべきかは幾つかの考え方があるが、一つには、原告は進歩性欠如(特許法29条2項違反)のみを主張していたため、新規性喪失は問題とならなかったと理解することが可能である。また、進歩性欠如の判断において、引用例中の内在同一(inherent)の主張に際し、当該物質・パラメータを出願日当時の当業者が“認識”/“理解”できたか、少なくとも確認したであろうことを必要とする裁判例が多数であるところ(下掲①乃至④)、新規性喪失の判断においても同様であることを前提としていると理解することも可能である。
①平成25年(行ケ)10163〔設樂裁判長〕は、追試で「ラジカル」が含まれることが確認されたとしても、「本件優先日時点の当業者において、上記粒子分布を有する引用刊行物記載の帯電微粒子水がラジカルを含むものであることを認識することができたものとは認められない」と判示して、進歩性欠如の無効審決を取り消した。
②平成19年(行ケ)10378〔田中裁判長〕は、「当該『刊行物』に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要する」と判示して、(追試ではなく、)優先日後の文献等から、引用文献の物質Aが「二水和物」であったことが分かったとしても、優先日当時の技術水準では当業者はそのように理解できなかったとして、新規性を認めた。
③平成17年(行ケ)10222〔佐藤裁判長〕は、乙4文献の追試結果及び乙7文献の追試結果から、ストレッチフィルムが要件Bのパラメータを満たすことは周知と主張したのに対し、「せいぜい乙4や乙7の実施例に記載されたストレッチフィルムがたまたま要件Bを満たすものであるといえるだけであって、要件Bのパラメータとストレッチ包装における特性との関連性及び要件Bを達成するための具体的な手段が、本件出願前に知られていたことにはならない。」と判示して、(異議)取消決定を取り消した。
④平成23年(行ケ)10340〔飯村裁判長〕は、フリー体をナトリウム塩とすることは容易想到であったところ、追試結果に拠ればフリー体をモノナトリウム塩としたときにトリハイドレードになるから、「モノナトリウム塩トリハイドレード」は容易想到と判断した。同判決は、「結晶が含む水和水(結晶水)の数が異なると,薬剤の溶解特性が異なり,当該有効成分の生体への吸収特性が異なることは周知の事項であり…,甲5には,フリー体の1水和物(モノハイドレート)が得られたと解される記載がある…。これらからすると,当業者は,フリー体の製剤化に際して,フリー体のモノナトリウム塩を用いることを検討し…,かつ,フリー体のモノナトリウム塩に何らかの水和物が存在するか,存在する場合,その吸収特性を含めその特性はどのようなものかを調査しようとするのは当然である。」と判示しており、出願日当時の当業者がinherentの物質及び特性を確認したであろうことが必要であることを前提としている。
ところで、特許権者は、本判決で問題となった特許第4886810号の他に、特許第5361064号(【請求項1】「ゴム補強層に,動的貯蔵弾性率の170℃から200℃までの変動が2.9MPa以下であり,天然ゴムを含むサイドウォール部補強用ゴム組成物を用いたことを特徴とするランフラットタイヤ。」)も保有しており、別件平成28年(行ケ)第10180号において、特許第5361064号の請求項1記載の発明の進歩性が争われた。別件判決は、本判決と同様に、「本件特許の原出願日当時,ランフラットタイヤの補強用ゴム組成物において,170℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目することを,当業者が容易に想到することができたということはできない。」と判示して、進歩性を認めた。これらの特許のように、着目する温度範囲を変えることで、複数の発明を特許化することができる。
1. 取消事由1(本件発明1ないし4の明確性要件に係る判断の誤り)について
(1)特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
原告は,本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち,「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載が不明確であると主張するから,以下検討する。
(2)「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」との記載
ア 請求項1及び2の記載のうち「急激な降下」部分とは,動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,左から右に向かって降下の傾きの最も大きい部分を意味することは明らかである(【図2】)。また,傾きの最も大きい部分の傾きの程度は一義的に定まるから,「急激な降下部分の外挿線」の引き方も明確に定まるものである。
イ これに対し,原告は,動的貯蔵弾性率の傾きが具体的にどのような値以上になったときに「急激な降下」と判断すればよいか分からない旨主張する。しかし,「急激な降下」とは,相対的に定まるものであって,傾きの程度の絶対値をもって特定されるものではないから,同主張は失当である。
(3)「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との記載
ア ASTM規格(乙31)は,世界最大規模の標準化団体である米国試験材料協会が策定・発行する規格であるところ,ASTM規格においては,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,ポリマーのガラス転移温度を算出するに当たり,ほぼ直線的に変化する部分を特段定義しないまま,同部分の外挿線を引いている。また,JIS規格(乙13)は,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,プラスチックのガラス転移温度を算出するに当たり,「狭い温度領域では直線とみなせる場合もある」「ベースライン」を延長した直線を,外挿線としている。
そうすると,ポリマーやプラスチックのガラス転移温度の算出に当たり,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,特定の温度範囲における傾きの変化の条件を規定せずに,ほぼ直線的な変化を示す部分を把握することは,技術常識であったというべきである。
そして,ポリマー,プラスチック及びゴムは,いずれも高分子に関連するものであるから,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,その主成分である高分子に関する上記技術常識を当然有している。
したがって,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,上記技術常識をもとに,昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,特定の温度範囲における傾きの変化の条件が規定されていなくても,「ほぼ直線的な変化を示す部分」を把握した上で,同部分の外挿線を引くことができる。
イ これに対し,原告は,ASTM規格におけるガラス転移温度の測定方法における「ベースライン」と,本件発明1における「ほぼ直線的な変化を示す部分」とが関連することを,当業者は理解できないなどと主張する。
しかし,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,その主成分である高分子についての技術常識を当然有しているというべきであるから,ASTM規格やJIS規格における技術常識をもとに,「ほぼ直線的な変化を示す部分」という請求項の記載の意味内容を理解できるものである。
ウ また,原告は,本件発明1及び2においては2℃のずれが問題となっているから,ASTM規格は参考にできるものではなく,本件発明1及び2に関連するゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおいて,外挿線A及び外挿線Bは,その引き方によっては交点温度に5.8℃の差や3℃の差が生じる旨主張する。
しかし,後記5⑵のとおり,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにすぎなかったところ,本件発明6は,サイド部の補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したものである。
本件発明7も,ビード部の補強用ゴム組成物の同様の数値範囲に着目したものである。そして,本件発明1及び2は,かかる技術的思想を,外挿線Aと外挿線Bの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物として特定したものである。
そして,本件発明1及び2と同種であるゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおける外挿線A及び外挿線Bの交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる(甲6の実施例6のゴム組成物に関する甲217,図2,3。なお,図4の接線3は,「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線ということはできない。また,引用例1の実施例4及び15のゴム組成物に関する甲1の1の外挿線Aも,動的貯蔵弾性率の最大値温度から10℃ないし30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の部分の接線であり,「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線Aではない。)。
このように,外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は,補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって,かかる交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると,外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって,ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない。
(4)小括
したがって,本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち,「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載は明確であって,本件特許の特許請求の範囲請求項1及び2の記載が明確性要件に違反するということはできない。請求項3及び4の各記載も同様であるから,明確性要件に違反するということはできない。よって,取消事由1は理由がある。
2. 取消事由4(本件発明6の引用発明1Aに基づく進歩性判断(相違点1)の誤り)について
…相違点1は,本件発明6において,サイド部の補強用ゴム組成物について,「180℃から200℃における貯蔵弾性率の最大値と最小値の差ΔE’が2.3MPa以下」と,その弾性(剛性)の数値範囲を特定するものである。
そこで,まず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができるか否かについて検討する。…
以上によれば,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたものにすぎず,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたということはできない。したがって,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃における貯蔵弾性率の差に着目することを,当業者が容易に想到することができたということはできない。…
ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物について,高温における剛性維持が求められていたとしても,サイド部の補強用ゴム組成物のランフラット走行時における温度を,どの範囲で設定するかによって,その組成物に求められる特性は変わるものである。そして,前記のとおり,本件特許の原出願の優先日当時において,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにとどまるのであるから,この温度範囲を超えた温度を前提としてサイド部の補強用ゴム組成物の特性を検討しようとは考えないというべきである。…
原告は,再現実験…によれば,引用例1に記載された各実施例におけるゴム組成物が,本件発明6の数値範囲を満たしていることが認められる旨主張する。しかし,引用例1に記載された各実施例におけるゴム組成物が,本件発明6の数値範囲を満たしていたとしても,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物において,180℃から200℃までの温度範囲に着目されていたことにはならない。…
(Keywords)明確性、進歩性、温度、数値限定、パラメータ、ランフラットタイヤ、ゴム組成物、サイド部、住友ゴム、ブリジストン、4886810
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュース平成30年5月28日の原稿を追記・修正したものです。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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