① 前訴判決(平成27年(行ケ)第10010号(鶴岡裁判長))は、「『亜鉛ベース合金』を『亜鉛アルミニウム合金(亜鉛含有率50%以上)』と限定しない限り,サポート要件及び実施可能要件に違反する」という無効審判請求人の主張を斥けるとともに、無効審判請求人が更に「本件特許の特許請求の範囲における『亜鉛ベース合金』に『金属間化合物』が含まれると解釈することを前提とした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,熱処理前の『亜鉛ベース合金』被膜が金属間化合物である場合が記載されていないことを理由として,本件特許にはサポート要件違反及び実施可能要件違反がある」旨を主張したのに対し、「原告が,本件において,取消事由2の一部とする前記主張は,原告が,本件の審判手続において無効理由として具体的に主張したものではなく,本件審決もこれについて判断しているものではないから,この点を本件審決の取消事由とする原告の主張は失当というべきである(本件審決が,合金には金属間化合物は含まれないという前提に立って審理判断をしたため,審判手続においては,この点に関する審理判断の余地が全くなかったという本件の経緯を考慮すると,この点は,改めて無効審判において審理判断されるべき事項というべきである。)。」と判示して、サポート要件違反・実施可能要件違反の理由の一部を判断しなかった。
差戻後の特許庁は、前訴判決が判断しなかったサポート要件違反・実施可能要件違反について判断し、何れも無効理由なしと判断し、不成立審決をした。
本判決は、2回目の審決取消訴訟の判決であり、「本件では熱処理前の『亜鉛ベース合金』が『亜鉛ベースの金属間化合物』である場合にもサポート要件が充足されているかどうかが争点となっている」とした上で、サポート要件を充足すると判断するとともに、続いて、実施可能要件も充足するとして、請求を棄却した。
このように、前訴判決及び本判決に拠れば、サポート要件違反・実施可能要件違反について、審決取消訴訟の審理範囲は、サポート要件違反・実施可能要件違反の理由として審判手続中で無効理由として具体的に主張され,審決が判断した限りであること、及び、前訴の確定判決の拘束力の客観的範囲は、サポート要件違反・実施可能要件違反か否かという判断全体に及ぶものではなく、前訴で判断された理由付けに限られることになる。
この点については、2019年12月のAIPPI判例研究会で報告者であった森裁判長によれば、サポート要件違反の主張内容に従って別個独立に判断しなければならないという「第1説」と、それぞれの要件(明確性、実施可能要件、サポート要件)ごとに判断対象は一つであるという「第2説」があると整理されている。「第1説」である裁判例として、前訴判決(平成27年(行ケ)第10010号(鶴岡裁判長))及び本判決(平成30年(行ケ)第10093号、令和元年9月19日判決言渡(森裁判長))が挙げられており、他方、「第2説」である裁判例として、知財高判平成27年(行ケ)第10010号(高部裁判長)が挙げられている。
近時、進歩性判断時の「構成の容易想到性」と「予測できない顕著な効果」について、構成が容易想到であることが前訴で判断されて確定している状況において、「予測できない顕著な効果」を否定した後訴・知財高裁判決<原判決>を、「予測できない顕著な効果」について審理不十分として取り消した令和元年8月27日最高裁判決平成30年(行ヒ)第69号「アレルギー性眼疾患を処置するための点眼剤事件」(原判決・平成29年11月21日・平成29年(行ケ)第10003号)がある。最高裁判決の事案では、同一の公知文献に基づく進歩性欠如の主張に対する対抗主張として、構成(用途)が容易想到であると確定した後であっても、「予測できない顕著な効果」を主張できる余地が残るという意味で、進歩性判断における効果の位置付けについては、いわゆる独立要件説に親和的である。また、進歩性判断において構成(用途)が容易想到であると判断した前訴の確定判決の拘束力は、「予測できない顕著な効果」の有無には及ばないという説に親和的である。
それでは、サポート要件・実施可能要件について判断した前訴の確定判決の拘束力は、サポート要件違反・実施可能要件違反か否かという判断全体に及ぶのか、それとも、前訴で判断された理由付けに限られるのかが問題となり得るところであったため、前訴で判断された理由付けに限られることを前提とした点において、本判決及び前訴判決は一考の価値がある。
② 最後に、本判決は、サポート要件の判断枠組みとして「本件ではアルミニウムとニッケル以外の金属が亜鉛-鉄と3元系以上の金属間化合物を形成するかどうかは証拠上必ずしも明らかとなっていないのであるから,鉄,アルミニウム及びニッケル以外の金属元素と亜鉛からなる『亜鉛ベースの金属間化合物』の被覆が熱処理により3元系以上の亜鉛-鉄ベース金属化合物又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物を生じさせて本件発明の課題を解決することを被告が積極的に主張立証していないとしてもサポート要件が充足されなくなるものではない。」と判示している。この論理は、サポート要件の立証責任は特許権者側に課されるが、無効審判請求人側においてサポートされていないと主張する構成を具体的に指摘する義務を負い、該構成の存在を証拠上示さない限り、特許権者側は該構成がサポートされていることを積極的に主張立証する必要はないというものである。これは、特許権者側に立証責任が課されるサポート要件・実施可能要件等であっても、無効審判請求人側に具体的な理由を示す責任があることを意味するが、逆に言えば、無効審判請求人は、具体的な理由を順次変えれば何度でもサポート要件・実施可能要件違反の無効審判を起こせることになってしまう。
1.特許請求の範囲(【請求項1】)
「【請求項1】…熱処理用鋼板の表面及び内部の鋼を確実に保護する,亜鉛または亜鉛ベース合金で被覆された圧延熱処理用鋼板の帯材を型打ちすることによって成形された部品を製造する方法であって,熱処理用鋼板を裁断して熱処理用鋼板ブランクを得る段階と,熱処理用鋼板ブランクを熱間型打ちして部品を得る段階と,型打ち前に,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保し且つ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物および亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物からなる群から選択される合金化合物を熱処理により熱処理用鋼板ブランクの表面に生じさせる段階と,ここで該熱処理は熱処理用鋼板ブランクに800℃~1200℃の高温を2~10分間作用させるものであり,型打ちされた部品を臨界焼入れ速度を上回る速度でさらに冷却する段階と,型打ち処理に必要であった熱処理用鋼板の余剰部分を裁断によって除去する段階と,を含んで成る方法。」
2.前訴判決の抜粋(サポート要件)
(1)…「本件明細書の発明の詳細な説明に,熱処理前の「亜鉛ベース合金」の具体例として亜鉛50%,アルミニウム50%の亜鉛アルミニウム合金被膜しか記載されていないとしても,当業者であれば,本件特許の優先日当時の技術常識と本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,上記以外の「亜鉛ベース合金」の被膜をも想起し,これらの被膜を熱処理することによって本件発明に係る課題を解決できることを理解し得るものといえるから,原告の上記主張は理由がない。…
(2) さらに,原告は,本件特許の特許請求の範囲における「亜鉛ベース合金」に「金属間化合物」が含まれると解釈することを前提とした上で,本件明細書の発明の詳細な説明には,熱処理前の「亜鉛ベース合金」被膜が金属間化合物である場合が記載されていないことを理由として,本件特許にはサポート要件違反及び実施可能要件違反がある旨を主張する。
しかし,特許無効審判における審決の取消訴訟においては,審判手続において審理判断されなかった無効原因は,審決を違法とする理由として主張することができないものというべきところ,上記の理由によるサポート要件違反及び実施可能要件違反は,本件の審判手続において,具体的に主張されておらず,審理判断されていない無効理由であると認められる。
すなわち,本件審決の理由(別紙審決書写し参照)によれば,本件の審判手続において,審判請求人である原告が「亜鉛ベース合金」の記載に関わるサポート要件違反の無効理由として具体的に主張しているものと理解できるのは,①「亜鉛ベース合金」という記載では,どのような成分の合金が含まれるのか全く明らかでなく,「亜鉛ベース合金」から「亜鉛-鉄ベース合金化合物」を生じさせることは,発明の詳細な説明に記載されていない旨(本件審決の17頁),②「亜鉛ベース合金」は,様々な亜鉛合金を含むものであるが,発明の詳細な説明には,「亜鉛-アルミニウム合金」からなる「亜鉛ベース合金」しか記載されていないから,発明の詳細な説明にサポートされていない旨(同17頁)及び③実施例2に記載された「50-55%のアルミニウムと45-50%の亜鉛」とからなる被膜は,アルミニウムベース合金であり,亜鉛ベース合金とはいえないから,「亜鉛ベース合金」の実施例はない旨(同18頁)の各主張であり(本件の審判手続において原告が主張した無効理由が本件審決の理由に記載のとおりのものであることは,原告が自認するところである。),いずれも,本件特許の特許請求の範囲における「亜鉛ベース合金」に「金属間化合物」が含まれるとする解釈を前提とした上で,本件明細書の発明の詳細な説明に,熱処理前の「亜鉛ベース合金」被膜が金属間化合物である場合が記載されていないことを理由とするサポート要件違反を具体的に主張するものではない。同様に,本件の審判手続において,原告が「亜鉛ベース合金」の記載に関わる実施可能要件違反の無効理由として具体的に主張しているものと理解できるのは,「亜鉛ベース合金」がアルミニウム以外の合金成分を含む場合,どの程度の合金成分を含む「亜鉛ベース合金」を,どのような組成の鋼板に被覆し,どのような熱処理条件を採用すれば,どのような合金化合物が生じるのか,発明の詳細な説明には全く記載されておらず,本件明細書の記載からは,鉄,ニッケル,クロム,さらには,アルミニウムとマグネシウム等を含む亜鉛ベース合金から,熱処理により「亜鉛-鉄ベース合金化合物」が形成されることを,当業者が容易に理解できるとはいえない旨(本件審決の30頁)の主張であり,本件特許の特許請求の範囲における「亜鉛ベース合金」に「金属間化合物」が含まれるとする解釈を前提とした上で,本件明細書の発明の詳細な説明に,熱処理前の「亜鉛ベース合金」被膜が金属間化合物である場合が記載されていないことを理由とする実施可能要件違反を具体的に主張するものではない。
以上のとおり,原告が,本件において,取消事由2の一部とする前記主張は,原告が,本件の審判手続において無効理由として具体的に主張したものではなく,本件審決もこれについて判断しているものではないから,この点を本件審決の取消事由とする原告の主張は失当というべきである(本件審決が,合金には金属間化合物は含まれないという前提に立って審理判断をしたため,審判手続においては,この点に関する審理判断の余地が全くなかったという本件の経緯を考慮すると,この点は,改めて無効審判において審理判断されるべき事項というべきである。)。
3.本判決の抜粋(サポート要件)
…本件では熱処理前の「亜鉛ベース合金」が「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合にもサポート要件が充足されているかどうかが争点となっている…。
…当業者は,本件明細書の記載から,鋼板上に被覆された亜鉛又は「亜鉛ベース合金」の固溶体である亜鉛-アルミニウム合金を熱処理して,亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的強度を持つ鋼板を製造することができることを認識することができるものと認められる。また,当業者は,本件発明の合金化合物において,亜鉛が共通する主要な成分であるから,本件発明の課題解決には亜鉛が重要な役割を果たしていると認識するものと認められる。
…本件明細書の記載に接した当業者は,熱処理前の被膜が実施例1とは異なり,亜鉛-鉄金属間化合物であったとしても,実施例1の記載及び上記技術常識を基礎にして,熱処理前の亜鉛-鉄の金属間化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,熱処理後に異なる亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造することができると認識することができると認められる。…熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,実施例2に開示された亜鉛―アルミニウムの固溶体からなる合金のみならず,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物であっても,熱処理前の同金属化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,亜鉛-鉄-アルミニウムベースの合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
…本件明細書の記載に接した当業者は,前記の鉄の拡散が進んで異なる金属間化合物が生じるという技術常識も踏まえて,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,亜鉛-ニッケルの金属間化合物やそれに更にアルミニウムや鉄を含む金属間化合物であっても,それらの組成,熱処理の温度や時間を適宜調節して,亜鉛-鉄ベースの合金化合物又は亜鉛-アルミニウム-鉄ベースの合金化合物を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
そして,本件ではアルミニウムとニッケル以外の金属が亜鉛-鉄と3元系以上の金属間化合物を形成するかどうかは証拠上必ずしも明らかとなっていないのであるから,鉄,アルミニウム及びニッケル以外の金属元素と亜鉛からなる「亜鉛ベースの金属間化合物」の被覆が熱処理により3元系以上の亜鉛-鉄ベース金属化合物又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物を生じさせて本件発明の課題を解決することを被告が積極的に主張立証していないとしてもサポート要件が充足されなくなるものではない。
4.関連裁判例の紹介
4-1.論点①「前訴で判断されなかったサポート要件・実施可能要件違反の理由付けを判断した」点に関する裁判例
・最高裁判決平成4年4月28日昭和63年(行ツ)第10号「高速旋回式バレル研磨法」事件は、「特許無効審判事件についての審決の取消訴訟において審決取消しの判決が確定したときは、審判官は特許法一八一条二項の規定に従い当該審判事件について更に審理を行い、審決をすることとなるが、審決取消訴訟は行政事件訴訟法の適用を受けるから、再度の審理ないし審決には、同法三三条一項の規定により、右取消判決の拘束力が及ぶ。そして、この拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから、審判官は取消判決の右認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない。」と判示し(下線部は、筆者が附した。)、本件とは逆に、審決取消訴訟判決が容易想到でないと判断した場合は、判決の拘束力により、当該引用文献に基づいて容易想到であることを主張できないと判示したものである。
「高速旋回式バレル研磨法」最高裁判決は、進歩性判断の事案についての判断であったが、サポート要件・実施可能要件違反についても同様に妥当し、前訴の確定判決の「拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたる」ものであるから、同じサポート要件・実施可能要件違反であっても、異なる理由付けであれば確定判決の拘束力は及ばないと考えれば、本判決及び前訴判決は何も問題がない。
進歩性判断(容易想到性判断)時の議論として、高部眞規子知財高裁所長は、「高速旋回式バレル研磨法」最高裁判決についての論稿(特許判例百選〔第5版〕86事件)において、「特定の引用例に基づいて当該特許発明を容易に発明することができたとはいえないとした審決を、容易に発明することができたとして取り消す判決が確定した場合には、再度の審判手続において、当該引用例に基づいて容易に発明することができたとはいえないとする当事者の主張や審決が封じられる結果、訂正請求をしない限り、無効審決がされることになる。」と解説するとともに、「実務詳説 特許関係訴訟(第3版)」(金融財政事情研究会・2016年)380頁)において「…単に引用例との一致点又は相違点の認定誤りといった事由ではなく、当該引用例からの容易想到性という次元で独立した取消事由として構成する運用にするのであれば、自ずから拘束力の範囲は、上記①(筆者注:「①特定の引用例からの容易想到性」)の判断ということになるのではなかろうか。」と解説しており、このような高部判事の解説に拠れば、同一の引用例に基づく容易想到性判断時には、審判段階で主張されていれば、審決が判断していない主張についても、当該引用例に基づく容易想到性全体につき確定判決の拘束力が及ぶことになる。
そうすると、サポート要件・実施可能要件違反について、上掲・高部判事の解説に拠ると、どのような判断となるのか。単にサポート要件・実施可能要件違反の個別の理由の判断誤りといった事由ではなく、サポート要件・実施可能要件違反の有無という次元で独立した取消事由として構成する運用にするのであれば、自ずから拘束力の範囲は、サポート要件・実施可能要件違反の有無の判断ということになるのではなかろうか、という考え方も有り得るかもしれない。
この点については、進歩性判断の事案ではあるが、令和元年8月27日最高裁判決平成30年(行ヒ)第69号「アレルギー性眼疾患を処置するための点眼剤事件」-(原判決・平成29年11月21日・平成29年(行ケ)第10003号)-は参考になると思われる(拙稿・パテント誌2020年1月号論稿に詳述した。)。
4-2.論点②「証拠上明らかでない構成についてまで、特許権者側がサポート要件を主張・立証することを不要とした」点に関する裁判例
・知財高判(大合議)平成17年(行ケ)第10042号「偏光フィルムの製造法」事件は、「特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならない…。そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであ…る。…本件発明は,特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とするものであり,いわゆるパラメータ発明に関するものであるところ,このような発明において,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するためには,発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である。」と判示して、知財高裁大合議判決として、「サポート要件」の判断基準を確立した。
同判決の射程範囲が「パラメータ発明」に限られるかという議論があり、その趣旨を述べた裁判例も散見されたが、近時は限定なく広く適用されている。
なお、サポート要件(・実施可能要件・明確性要件)の立証責任が特許権者側にあることは、争いのない判例・通説であり、「偏光フィルムの製造法」大合議判決も、「…同XY平面上,何らかの直線又は曲線を境界線として,所望の効果(性能)が得られるか否かが区別され得ること自体が<立証できていないことも明らかであるから,上記四つの具体例のみをもって,上記斜めの実線が,所望の効果(性能)が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底いうことができない。」として、立証責任を特許権者側に課している。本判決は、無効審判請求人側がサポートされていない構成が示さない限り、特許権者側は主張立証不要という判断枠組みを明確化した点において、有意義である。(この点は、実施可能要件についても全く同様である。)
3 取消事由1(サポート要件についての認定判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,サポート要件の存在については,特許権者(被告)がその証明責任を負うものである。
そして,前記のとおり,本件では熱処理前の「亜鉛ベース合金」が「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合にもサポート要件が充足されているかどうかが争点となっているところ,以下,この争点について,上記のような証明責任が果たされているかどうかについて判断する。
(2) ア 前記1のとおり,本件明細書には,亜鉛又は亜鉛合金で被覆した鋼板を熱処理又は熱間成形を行うために温度を上昇させたときに,被膜が鋼板の鋼と合金化した層を形成し,この瞬間から被膜の金属の溶融が生じない機械的強度を持つようになるという新たな知見が得られたことに基づき,熱間成形や熱処理の前に,鋼板を亜鉛又は亜鉛ベース合金で被覆し,その後熱処理を行うことにより,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保しかつ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物を生じさせ,これによって,熱処理中または熱間成形中の鋼の腐食防止,脱炭防止,高温での潤滑機能の確保等の効果を奏することが記載され,実施例1として,鋼板を亜鉛で被膜したものを950℃で熱処理して,亜鉛-鉄合金の被膜を鋼板の表面に生じさせたところ,同被膜が優れた腐食防止効果を有することが確認された旨が記載され,さらに,実施例2として,50-55%のアルミニウム,45-50%の亜鉛及び任意に少量のケイ素を含有する被膜を熱処理したところ,極めて優れた腐食防止効果を有する亜鉛-アルミニウム-鉄合金の被膜が得られたことが記載されている。
これらの記載及び弁論の全趣旨を総合すると,当業者は,本件明細書の記載から,鋼板上に被覆された亜鉛又は「亜鉛ベース合金」の固溶体である亜鉛-アルミニウム合金を熱処理して,亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的強度を持つ鋼板を製造することができることを認識することができるものと認められる。また,当業者は,本件発明の合金化合物において,亜鉛が共通する主要な成分であるから,本件発明の課題解決には亜鉛が重要な役割を果たしていると認識するものと認められる。
イ 前記2で認定したとおり,亜鉛と鉄が金属間化合物を形成するものであること,熱処理後の「亜鉛-鉄ベース合金化合物」に亜鉛-鉄金属間化合物が含まれること及び熱処理により鋼板から鉄の拡散が進んで金属間化合物について複数の相が生じ得る,すなわち,異なる金属間化合物に変化し得ることが,本件出願時の技術常識であったことからすると,本件明細書の記載に接した当業者は,熱処理前の被膜が実施例1とは異なり,亜鉛-鉄金属間化合物であったとしても,実施例1の記載及び上記技術常識を基礎にして,熱処理前の亜鉛-鉄の金属間化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,熱処理後に異なる亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造することができると認識することができると認められる。
ウ また,鋼板上に被覆された熱処理前の「亜鉛ベース合金」が金属間化合物で,それを熱処理して亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物を生じさせる場合についても,①固溶体である亜鉛-アルミニウム合金の被膜を熱処理して,極めて優れた腐食防止効果を有する亜鉛-鉄-アルミニウム合金の被膜を生じさせる実施例2が本件明細書に記載されていること,②前記2(1)のとおり,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物の存在が,本件出願時,当業者に知られていた上,熱処理により鋼板から鉄の拡散が進んで異なる金属間化合物が生じるという本件出願時に知られていた基本的なメカニズムは,出発点が亜鉛-アルミニウムの固溶体である場合と,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物である場合で,異なることを示す根拠となる事情は認められず,基本的には異ならないと考えられることからすると,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,実施例2に開示された亜鉛―アルミニウムの固溶体からなる合金のみならず,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物であっても,熱処理前の同金属化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,亜鉛-鉄-アルミニウムベースの合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
エ 次に,その他の熱処理前の「亜鉛ベース合金」についても検討する。「亜鉛ベース合金」には,前記2(2)で認定したとおり,多種多様な金属間化合物が該当し得る一方で,本件明細書には,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,それらの「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合についての明示的な記載はない。
しかし,前記2(1)のとおり,本件出願時,本件発明にいう熱処理後に生じる3元系以上の亜鉛-鉄ベース又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物に該当するものとして,証拠上認定できるものは,①亜鉛-ニッケル-鉄,②亜鉛-鉄-アルミニウム,③亜鉛-鉄-アルミニウム-ニッケルの3種類のみである。
そうすると,上記のような3元系以上の「亜鉛-鉄ベース合金化合物」又は「亜鉛-アルミニウム合金化合物」を生じさせることのできる熱処理前の「亜鉛ベース金属間化合物」たる「亜鉛ベース合金」に含まれ得る亜鉛以外の金属元素としては,鉄,アルミニウム以外にはニッケルが挙げられる。そして,ニッケルについては,前記2(1)で認定したとおり,亜鉛-ニッケル-鉄や亜鉛-鉄-アルミニウム-ニッケルの金属間化合物の存在が本件出願時に知られていた上,本件出願時から,ニッケルは亜鉛と合金を形成して鋼板の被膜を形成すること及び亜鉛-ニッケル合金メッキは優れた耐食性を有することが知られていた(甲2,乙8)から,当業者は,ニッケルがマイナー成分として加えられても本件発明の課題解決には影響はなく,上記のように亜鉛が重要な役割を果たしていると認識するといえる。そうすると,本件明細書の記載に接した当業者は,前記の鉄の拡散が進んで異なる金属間化合物が生じるという技術常識も踏まえて,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,亜鉛-ニッケルの金属間化合物やそれに更にアルミニウムや鉄を含む金属間化合物であっても,それらの組成,熱処理の温度や時間を適宜調節して,亜鉛-鉄ベースの合金化合物又は亜鉛-アルミニウム-鉄ベースの合金化合物を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
そして,本件ではアルミニウムとニッケル以外の金属が亜鉛-鉄と3元系以上の金属間化合物を形成するかどうかは証拠上必ずしも明らかとなっていないのであるから,鉄,アルミニウム及びニッケル以外の金属元素と亜鉛からなる「亜鉛ベースの金属間化合物」の被覆が熱処理により3元系以上の亜鉛-鉄ベース金属化合物又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物を生じさせて本件発明の課題を解決することを被告が積極的に主張立証していないとしてもサポート要件が充足されなくなるものではない。
オ 以上からすると,当業者は,本件明細書の記載と本件出願時の技術常識とに基づいて,本件明細書の実施例2で開示された亜鉛重量50%-アルミニウム重量50%の合金以外の「亜鉛ベース合金」として,亜鉛-鉄金属間化合物,亜鉛-鉄-アルミニウム金属化合物,亜鉛-ニッケル金属間化合物及びそれにアルミニウムや鉄が加わった金属間化合物等を想起し,これらからなる鋼板上の被覆を熱処理することによって亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせて本件発明に係る課題を解決できることを理解することができ,そのことを被告は証明したと認めることができる。
(3) 原告は,①いかなる金属間化合物で鋼板を被覆し,それを熱処理することで,本件発明の課題を解決できるいかなる金属間化合物が生じるかを,被告が根拠となる本件明細書の記載と技術常識を明らかにしつつ具体的に主張立証しなければならないが,その主張立証が果たされていない,②亜鉛-鉄金属間化合物について,δ1相が鋼板用の被膜として望ましいとする従来の技術常識からすると,当業者は本件明細書の記載及び技術常識に照らして,本件発明の課題をできるとは認識しない,③亜鉛-鉄-アルミニウム金属間化合物と亜鉛-ニッケル-鉄金属間化合物について,限られた温度の3元系状態図しか知られていなかったことからすると,当業者は,熱処理することでどのような金属間化合物を得られるかを予測することはできないから,熱処理前の「亜鉛ベース合金」を本件明細書に開示のない「亜鉛ベースの金属間化合物」にまで拡張することはできないと主張する。
ア 上記①について,当業者が,「亜鉛ベースの金属間化合物」の被覆として,亜鉛-鉄金属間化合物,亜鉛-鉄-アルミニウム金属間化合物,亜鉛-ニッケル金属間化合物及びそれにアルミニウムや鉄が加わった金属間化合物等からなる被覆を想起し,これらの被覆を熱処理することによって本件発明に係る課題を解決できることを理解できることは,前記(2)で判断したとおりである。
イ 上記②について,本件発明は,亜鉛又は亜鉛合金で被覆した鋼板を熱処理又は熱間成形を行うために温度を上昇させたときに,被膜が鋼板の鋼と合金化した層を形成し,この瞬間から被膜の金属の溶融が生じない機械的強度を持つようになるという新たな知見に基づくものであり,かつ,実施例1,2で優れた腐食防止効果を持つ被膜が形成されていることが確認できる(実施例1,2と同じ条件で実験した場合にこのような結果が得られないことを示す証拠はない。)以上,従来の技術常識にかかわらず,当業者は,本件明細書の記載と本件出願時の技術常識に基づいて「亜鉛ベース合金」が「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合,本件発明の課題を解決できることを認識するといえ,原告の主張は採用することができない。
ウ 上記③について,前記(2)で検討したとおり,当業者は,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識から,亜鉛-鉄-アルミニウム金属間化合物又は亜鉛-ニッケル金属間化合物及びそれにアルミニウムや鉄が加わった金属間化合物等の被覆であっても課題を解決できると認識することができるというべきであって,このことは,限られた温度の3元系状態図しか知られていなかったとしても,左右されるものではない。
エ 以上からすると,原告の上記主張は,前記(2)の認定判断を左右するものではない。
(4) したがって,原告主張の審決取消事由1は理由がない。
原告(無効審判請求人):JFEスチール株式会社
被告(特許権者):アルセロールミタル
(Keywords)特許、アルセロール、ミタル、JFE、サポート要件、前訴、立証、拘束力、亜鉛ベース合金、金属間化合物、2回目、審決取消訴訟、森、鶴岡、高部、AIPPI
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュース令和元年12月9日の原稿を追記・修正したものです。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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