知財高判平成30年4月4日、平成29年(ネ)第10090号 <高部裁判長>
◆判決本文
本判決は、発明の名称を「医薬」と題する発明について、「先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない」とした上で、サンプル薬の水分含有量が発明の数値範囲内にあったことを認めるに足りる証拠はなく、仮に発明の数値範囲に入っていたとしても、同数値範囲となるように管理していたとは認められず、同数値範囲内に収めるという技術的思想がなかったとして、先使用権不成立とした裁判例である。
まず、本判決は、「特許法79条にいう『発明の実施である事業…の準備をしている者』とは,少なくとも,特許出願に係る発明の内容を知らないで自らこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者でなければならない(最高裁昭和61年(オ)第454号・同年10月3日第二小法廷判決・民集40巻6号1068頁参照)。よって,控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。」と一般論を述べた上で事実関係を認定し、「…以上のとおり,サンプル薬を製造から4年以上後に測定した時点の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって,サンプル薬の製造時の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。…そうすると、控訴人が,本件出願日までに製造し,治験を実施していた本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量は,いずれも本件発明2の範囲内(1.5~2.9質量%の範囲内)にあったということはできない。」とした。
その上で、本判決は、「仮に,本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても…」という仮定の文脈で、サンプル薬に具現された技術的思想を問題とした。すなわち、本判決は、傍論ではあるが、出願日/優先日前に製造したサンプル薬の数値が偶々発明の数値範囲に入っていたとしてもそれだけでは先使用「発明」の成立は認められず、サンプル薬に発明の数値範囲内である技術的思想が具現化している必要がある、すなわち「サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明である」必要があることを示したものである。
この点について、本判決は、先ず「本件発明2の技術的思想」は、「ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量に着目し,これを2.9質量%以下にすることによってラクトン体の生成を抑制し,これを1.5質量%以上にすることによって5-ケト体の生成を抑制し,さらに,固形製剤を気密包装体に収容することにより,水分の侵入を防ぐという技術的思想を有するものである。」と認定した。
続いて、本判決は、「サンプル薬に具現された技術的思想」について、「(ア) 控訴人が,本件出願日前に,サンプル薬の最終的な水分含量を測定したとの事実は認められない。」、「(イ)…控訴人が,サンプル薬の水分含量が一定の範囲内になるよう管理していたということはできない。」、「(ウ)…サンプル薬と実生産品との間で,B顆粒の水分含量の管理範囲が…から…へと変更されている。控訴人は,サンプル薬の水分含量には着目していなかった…。」と認定し、結論として、「控訴人は,本件出願日前に本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造するに当たり,サンプル薬の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも,1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。」から、「サンプル薬においては,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内に収めるという技術的思想はなく,また,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値とする技術的思想も存在しない。そうすると,サンプル薬に具現された技術的思想が,本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。」として、先使用権の成立を否定した。
1.本判決の影響が及ぶ範囲(射程範囲とは異なるが...)
先使用権においては、「事業の準備」・「先使用発明と対象製品との同一性」が争点となる事案が多く、先使用発明自体の完成・認定が問題となった事案は見受けられない。2015年に筆者が先使用権について裁判例を纏めた資料が”http://h-takaishi.wixsite.com/hideki-takaishi/cv“の「13.『先使用権の裁判例纏め』(2015)」にあるので、参照されたい。
本判決は、先使用権に関する一裁判例として片付けることはできない。
すなわち、知財高判大合議平成28年(行ケ)第10182号「ピリミジン誘導体」事件を含め、近時の知財高裁は、特許法上の「発明」を、構成ないし技術的事項でなく「技術的思想」と捉える傾向が顕著であるところ、本判決が先使用「発明」の認定において判示した考え方は、主/副引用「発明」や公然実施「発明」の認定においても同様であると考えられるからである。
以下、主/副引用「発明」及び公然実施「発明」について、それぞれ重要裁判例を振り返り、知財高裁の考え方を若干考察する。
2.主/副引用「発明」の認定(引用発明/周知技術の上位概念化の限界)
知財高判大合議平成28年(行ケ)第10182号「ピリミジン誘導体」事件は、「…進歩性の判断に際し,本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下『主引用発明』といい,後記『副引用発明』と併せて『引用発明』という。)は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ,同条1項3号の『刊行物に記載された発明』については,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない…。この理は,本願発明と主引用発明との間の相違点に対応する他の同条1項3号所定の「刊行物に記載された発明」(以下「副引用発明」という。)があり,主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合において,刊行物から副引用発明を認定するときも,同様である。」と判示して、主引用発明の認定も、副引用発明の認定も、刊行物の記載から抽出し得る具体的な「技術的思想」でなければならないことを明らかにした。
ここで、引用発明の認定が刊行物の記載から抽出し得る具体的な「技術的思想」でなければならないことは、引用発明/周知技術の上位概念化の限界として語られる文脈と考え方が共通することから、例えば、以下のような裁判例が参考になる。
例えば、平成29年(行ケ)第10120号「空気入りタイヤ」事件<高部裁判長>は、「①ないし③の技術的事項は,甲4に記載された課題を解決するための構成として不可分のものであり,これらの構成全てを備えることにより,耐摩耗性能を向上せしめるとともに,乾燥路走行性能,湿潤路走行性能及び乗心地性能をも向上せしめた乗用車用空気入りラジアルタイヤを提供するという,甲4記載の発明の課題を解決したものと理解することが自然である。したがって,甲4技術Aから,ブロックパターンを前提とした技術であることを捨象し,さらに,溝面積比率に係る技術的事項のみを抜き出して,甲4に甲4技術が開示されていると認めることはできない。」と判示して、引用発明の過度の抽象化・上位概念化を戒めた。
周知技術についても同様であり、例えば、平成28年(行ケ)第10220号「給与計算方法」事件<高部裁判長>は、「①従業員の取引金融機関,口座,メールアドレス及び支給日前希望日払いの要求情報(周知例2),②従業員の勤怠データ(甲7),③従業員の出勤時間及び退勤時間の情報(乙9)及び④従業員の勤怠情報(例えば,出社の時間,退社の時間,有給休暇等)(乙10)の入力及び変更が可能な従業者の携帯端末機を備えること」が開示されていることは認められるが,これらを上位概念化した『上記利用企業端末のほかに,およそ従業員に関連する情報(従業員情報)全般の入力及び変更が可能な従業者の携帯端末機を備えること』や,『上記利用企業端末のほかに,従業員入力情報(扶養者情報)の入力及び変更が可能な従業者の携帯端末機を備えること』が開示されているものではなく,それを示唆するものもない。したがって,周知例2,甲7,乙9及び乙10から,本件審決が認定した周知技術を認めることはできない。」と判示し、複数の公知文献等に基づき上位概念としての周知技術の認定した無効審決を取り消した。
この論点について一般的規範を述べた裁判例として、平成26年(行ケ)第10251号「真空吸引式掃除機用パックフィルター」事件<設樂裁判長>は、「…引用発明の認定については,本願発明の発明特定事項のすべてが引用公報に記載されているかどうかを判断するために必要な技術事項が認定されるべきである。したがって,引用発明の認定は,本願発明の発明特定事項に対応する技術事項が客観的,具体的に認定されるべきであり,また,引用公報に発明特定事項に対応する技術事項が記載されていないとの判断を導く関連技術事項も記載されている場合には,これも加えて引用発明として認定する必要がある。これに対し,引用発明の特徴的技術事項であっても,本願発明の発明特定事項に関連しない技術事項まで認定する必要はない。」と判示している。(平成24年(行ケ)第10005号、平成25年(行ケ)第10248号同旨)
その他、引用発明ないし周知技術の上位概念化の限界を理由に、構成の一部を独立して抽出できないとした、特許権者/出願人に有利な裁判例としては、以下のようなものがある。
・平成22年(行ケ)第10162号「球技用ボール」事件
・平成19年(行ケ)第10065号「連結部材」事件
・平成18年(行ケ)第10138号「反射偏光子」事件
・平成23年(行ケ)第10100号「高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板」事件
・平成23年(行ケ)第10385号「炉内ヒータを備えた熱処理炉」事件
・平成23年(行ケ)第10121号「樹脂封止型半導体装置の製造方法」事件<飯村裁判長>
・平成22年(行ケ)第10056号「液体収納容器」事件<塩月裁判長>
・平成20年(行ケ)第10115号「遠隔的に監督される安全な試験の運営システム」事件~引用例が本願発明にたまたま含まれても一致点でないとした。
・平成24年(行ケ)第10241号「医療用ゴム栓組成物」事件~本願発明の組成物の構造が引用発明と一部重複していても、技術的思想が異なるとして、一致点でないとした。
他方、引用発明ないし周知技術の上位概念化を許容し、構成の一部を独立して抽出した、特許権者/出願人に不利な裁判例(進歩性なし)としては、以下のようなものがある。
・平成15年(行ケ)第348号「べら針」事件
・平成17年(行ケ)第10024号「フェンダーライナ」事件
・平成17年(行ケ)第10672号「高周波ボルトヒータ」事件
・平成16年(行ケ)第159号「遊技機における制御回路基板の収納ケース」事件
・平成24年(行ケ)第10204号「封水蒸発防止剤」事件
・平成22年(行ケ)第10220号「携帯型家庭用発電機」事件
3.公然実施「発明」の認定について
例えば、東京地判平成24年(ワ)第11800号「ポリイミドフィルム」事件<高野裁判長>は、「特許法2条1項の『発明』は,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいうから,当業者が創作された技術内容を反復実施することにより同一の結果を得られること,すなわち,反復可能性のあることが必要である(最高裁平成10年(行ツ)第19号…)。被告は,…先行発明の技術的範囲に属する28本の先行製品を製造したのであって,先行発明には反復可能性があるから,被告が…先行発明を完成させていたことは明らかである。確かに,先行製品は,別表記載のとおり,1ロットの中でも,αMDが10ppm/℃未満であったり,αTDが3ppm/℃未満や7ppm/℃超であったりしたのであるが,弁論の全趣旨によれば,それは,被告が,本件発明1の内容を知らず,αMDを10ppm/℃以上,αTDを3~7ppm/℃以上とすることを目標にしていなかったからにすぎないことが認められる。」と判示して、公然実施「発明」が完成していたためには反復可能性が必要であり、公然実施品の数値が偶々発明の数値範囲に属していたとしてもそれだけでは公然実施「発明」は認められないという意味で、(公然実施品に「発明の数値範囲内である技術的思想が具現化している必要がある」とまでは判示していないが、)少なくとも、本判決(平成29年(ネ)第10090号)が先使用発明の認定について判示した内容と通ずるものがある。
【判示事項(抜粋)】
争点1(控訴人は先使用権を有するか)について
(1) 控訴人は,本件出願日までに,本件2mg錠剤について,サンプル薬を製造し,長期保存試験を除く治験を終了しており,本件4mg錠剤について,サンプル薬を製造し,その治験を開始していた(乙1の1~10,3の4~8,4の1~12,6の4~6,18)。
そして,控訴人は,本件出願日までに,本件2mg錠剤及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造し,治験を実施していたことをもって,控訴人は発明の実施である事業の準備をしている者に当たり,本件発明2に係る特許権について先使用権を有する旨主張する。
ここで,特許法79条にいう「発明の実施である事業…の準備をしている者」とは,少なくとも,特許出願に係る発明の内容を知らないで自らこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者でなければならない(最高裁昭和61年(オ)第454号・同年10月3日第二小法廷判決・民集40巻6号1068頁参照)。
よって,控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。
(2) サンプル薬の水分含量ア サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるといえるためには,まず,本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にある必要があるから,この点について検討する。
イ サンプル薬の測定時の水分含量
(ア) 控訴人は,サンプル薬の水分含量を測定しているところ,その測定時期,測定方法及び水分含量の測定結果は,次のとおりである(乙32,51)。
対象 | 測定時期 | 測定方法 | 水分含量 |
201サンプル薬 | 平成29年10月~11月 | カールフィッシャー法 | 2.22~2.30質量% |
202サンプル薬 | 平成29年10月~11月 | カールフィッシャー法 | 2.38~2.46質量% |
203サンプル薬 | 平成29年10月~11月 | カールフィッシャー法 | 2.34~2.39質量% |
203サンプル薬 | 平成28年9月 | カールフィッシャー法 | 2.67質量% |
303サンプル薬 | 平成28年9月 | カールフィッシャー法 | 2.12質量% |
(イ) しかし,201サンプル薬,202サンプル薬及び203サンプル薬が製造されたのは●●●●●●●から●●にかけてであり,303サンプル薬が製造されたのは●●●●●●●から●●にかけてであり(乙1の1~11,4の9~12),サンプル薬の製造時から測定時まで4年以上もの期間が経過している。
また,これらのサンプル薬には,本件発明2と同様に極めて吸湿性の高い崩壊剤が含まれるものであって,201サンプル薬,202サンプル薬,203サンプル薬及び303サンプル薬には,実際に吸湿性の高い添加剤(クロスポビドン,トウモロコシデンプン,メタケイ酸アルミン酸マグネシウム)が含まれているから(甲2,乙1の1~11,4の9~12),サンプル薬の水分含量は容易に増加し得るものである。
さらに,これらのサンプル薬は,PTP包装及びアルミピロー包装がされているところ,実際に用いられていたアルミピロー包材(乙37,38)は,その構成からは透湿性のない適切な包材ということはできる(乙39の1・2,48)。しかし,実際に用いられていたアルミピロー包材と同じ品番のアルミピロー包材の中には,底部の折り曲げ部分のアルミが剥がれているものもある(甲18,26)。また,防湿性を確保したアルミピローの製造は,医薬品メーカーの管理方法を含めた製造方法に大きく依存する旨指摘されている(乙48)。実際に用いられていたアルミピロー包材に対して,専門家による立会いの下,リーク試験が行われ,気密性が担保されていることが確認された旨報告されているものの(乙49),同リーク試験は,検体を水没させ,一定の減圧条件(槽内圧力-40kPa,保持時間30秒間)において,気泡が発生しないことを目視検査するというものである。水没試験による気泡確認によって医薬包装の完全性を試験する方法は,個人の技量による判別量の差や水槽内の細菌・水の表面張力による検出限界などの問題を有する旨指摘されているほか,-40kPaの圧力下において,直径5μmの孔からは5分経過後も気泡が確認できず,直径10μmの孔においても,気泡の発生にばらつきがみられるとされている(甲27)。上記リーク試験の結果をもって,実際に用いられたアルミピロー包材が気密性を有していたと確定することはできない。そうすると,サンプル薬が,長期間にわたって,アルミピロー包装下で保管されている間に,湿気の影響を受けて水分含量が増加した可能性も,十分にあり得るものである。
なお,サンプル薬の測定時の水分含量と,実生産品の水分含量(後記ウ(ア))や,203サンプル薬を再製造したとされる錠剤の水分含量(2.18~2.26質量%。乙54~56)は,ほぼ同じである。しかし,そもそも,サンプル薬と,実生産品や203サンプル薬の再製造品が同一工程により製造されたものとは認められないから,この事実をもって,サンプル薬の測定時の水分含量が,製造時の水分含量とほぼ同じであったということはできない。
(ウ) したがって,サンプル薬の測定時の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって,4年以上も前の製造時の水分含量も本件発明2の範囲内であったと推認できるものではない。
ウ 実生産品の水分含量
(ア) 控訴人は,実生産品の水分含量を測定しているところ,その測定方法及び水分含量の測定結果は,次のとおりである(乙16)。
対象 | 測定方法 | 水分含量 |
028実生産品 | カールフィッシャー法 | 2.74質量% |
062実生産品 | カールフィッシャー法 | 2.24質量% |
003実生産品 | カールフィッシャー法 | 2.31質量% |
012実生産品 | カールフィッシャー法 | 2.30質量% |
(イ) もっとも,前記のとおり,サンプル薬と実生産品との間で,B顆粒の水分含量の管理範囲が●●●●●●●●から●●●●●●●へと変更されている。また,A顆粒及びB顆粒以外の添加剤の水分含量,打錠時の周囲の湿度,気密包装がされるまでの管理湿度などの点において,サンプル薬と実生産品との製造工程が同一であることを示す証拠はない。
(ウ) したがって,サンプル薬と実生産品が同一工程により製造されたものということはできないから,実生産品の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって,サンプル薬の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。
エ サンプル薬の顆粒の水分含量
(ア) 控訴人は,A顆粒とB顆粒の水分含量を測定しているところ,その測定方法及び各顆粒の水分含量の測定結果から算出した錠剤の水分含量の推計値は,次のとおりである(乙23の1・2,25の1・2,41の1~4)。
対象 | 顆粒の測定方法 | 錠剤の水分含量の推計値 |
201サンプル薬 | 乾燥減量法 | ●●●●● |
202サンプル薬 | 乾燥減量法 | ●●●●● |
203サンプル薬 | 乾燥減量法 | ●●●●● |
303サンプル薬 | 乾燥減量法 | ●●●●● |
(イ) 乾燥減量法もカールフィッシャー法も日本薬局方において採用されている水分含量の測定方法であって(甲20),087実生産品及び023実生産品の水分含量は,乾燥減量法とカールフィッシャー法のいずれの測定方法を採用しても,ほぼ同一の測定値を採るとの測定結果もある(甲13)。控訴人によるA顆粒とB顆粒の水分含量の上記測定は,設定温度80度における乾燥減量法で測定されているところ,乾燥減量法における乾燥温度は医薬品各条に委ねられるものであって(乙40),控訴人は測定時に,追加乾燥も実施している。そうすると,控訴人が採用した乾燥減量法により顆粒の水分含量を測定した上で,錠剤の水分含量を推計することも許容され得るものである。そして,上記のとおり,201サンプル薬,202サンプル薬,203サンプル薬,303サンプル薬のA顆粒とB顆粒の水分含量を基に算出した錠剤の水分含量の推計値は,本件発明2の範囲内のものではない。
(ウ) このように,サンプル薬の顆粒の水分含量を基に算出すれば,サンプル薬の水分含量は本件発明2の範囲内にはない可能性を否定できない。
オ 以上のとおり,サンプル薬を製造から4年以上後に測定した時点の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって,サンプル薬の製造時の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。また,実生産品の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって,サンプル薬の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。かえって,サンプル薬の顆粒の水分含量を基に算出すれば,サンプル薬の水分含量は本件発明2の範囲内にはなかった可能性を否定できない。その他,サンプル薬の水分含量が本件発明2の範囲内にあったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると,控訴人が,本件出願日までに製造し,治験を実施していた本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量は,いずれも本件発明2の範囲内(1.5~2.9質量%の範囲内)にあったということはできない。
(3) サンプル薬に具現された技術的思想
ア 仮に,本件2mg錠剤のサンプル薬又は本件4mg錠剤のサンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても,以下のとおり,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。
イ 本件発明2の技術的思想
前記1のとおり,本件発明2は,ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量に着目し,これを2.9質量%以下にすることによってラクトン体の生成を抑制し,これを1.5質量%以上にすることによって5-ケト体の生成を抑制し,さらに,固形製剤を気密包装体に収容することにより,水分の侵入を防ぐという技術的思想を有するものである。
ウ サンプル薬に具現された技術的思想
(ア) 控訴人が,本件出願日前に,サンプル薬の最終的な水分含量を測定したとの事実は認められない。
(イ) また,203サンプル薬及び303サンプル薬の製造工程では,A顆粒及びB顆粒の水分含量を乾燥減量法による測定において●●●●●●●●にする旨定められているものの(乙23の1・2,25の1・2),A顆粒及びB顆粒以外の添加剤の水分含量は不明である。また,サンプル薬には吸湿性の高い崩壊剤や添加剤が含まれているにもかかわらず,打錠時の周囲の湿度,気密包装がされるまでの管理湿度などは不明である。
そうすると,サンプル薬に含有されるA顆粒及びB顆粒の水分含量について,●●●●●にする旨定められているからといって,控訴人が,サンプル薬の水分含量が一定の範囲内になるよう管理していたということはできない。
(ウ) さらに,012実生産品及び062実生産品の製造工程では,B顆粒の水分含量を乾燥減量法による測定において●●●●●●●にすると定められており(乙24,26の1・2),サンプル薬と実生産品との間で,B顆粒の水分含量の管理範囲が●●●●●●●●から●●●●●●●●へと変更されている。控訴人は,サンプル薬の水分含量には着目していなかったというほかない。
(エ) したがって,控訴人は,本件出願日前に本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬を製造するに当たり,サンプル薬の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも,1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。
エ 以上のとおり,本件発明2は,ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内にするという技術的思想を有するものであるのに対し,サンプル薬においては,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内に収めるという技術的思想はなく,また,錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値とする技術的思想も存在しない。
そうすると,サンプル薬に具現された技術的思想が,本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。
オ 控訴人の主張について
(ア) 控訴人は,水分含量によってピタバスタチン製剤のラクトン体が生成することは技術常識であったから,控訴人は,本件2mg錠剤及び本件4mg錠剤の治験薬製造前から,錠剤中の水分含量を管理する必要性を認識していたと主張する。
しかし,一般的に,医薬組成物において製剤中の水分が類縁物質生成の原因になるという技術常識(乙8~10)や,ピタバスタチンについては水分含量を調整しなければならないという技術常識(乙12~14,20,57)が認められるとしても,水分含量の調整方法は様々であるから,このような技術常識のみから,ピタバスタチン又はその塩と特定の崩壊剤から成る錠剤であるサンプル薬について,錠剤としての水分含量を一定の範囲内となるように管理することを控訴人が認識していたといえるものではない。
したがって,本件出願日前の技術常識をもって,控訴人がサンプル薬の水分含量を管理する必要性を認識していたということはできない。
(イ) 控訴人は,サンプル薬について,水分含量を調整することにより,水分による影響を受ける類縁物質が生成しない,長期安定な薬剤を製造する点は,確定していた旨主張する。
しかし,控訴人が,サンプル薬について,ラクトン体及び5-ケト体の生成の程度について測定し,安定な製剤であることを確認していたとしても,前記のとおり,控訴人が,サンプル薬を製造するに当たり,その水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも,1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。サンプル薬において,5-ケト体の生成を抑制できていたとしても,これをもって,控訴人が,サンプル薬の水分含量を1.5質量%以上に管理していたと推認できるものではなく,また,これが,控訴人がサンプル薬の水分含量を1.5質量%以上に管理するという技術的思想を有していた結果として生じたものと評価できるものでもない。
したがって,サンプル薬について,何らかの方法を採用することにより,水分による影響を受ける類縁物質が生成しない,長期安定な薬剤を製造する点が確定されていたとしても,これをもって,サンプル薬に具現された技術的思想が,本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。
(4) 小括
以上のとおり,控訴人が,本件出願日までに製造し,治験を実施していた本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬に具現された技術的思想は,いずれも本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。したがって,控訴人は,発明の実施である事業の準備をしている者には当たらないから,本件発明2に係る特許権について先使用権を有するとは認められない。
よって,争点1に係る控訴人の主張は理由がない。
控訴人(一審被告):東和薬品株式会社
被控訴人(一審原告):興和株式会社(特許権者)
(Keywords)東和、興和、医薬、先使用、サンプル、ピタバスタチン、79条、数値、水分、ピリミジン、公然実施
執筆:高石秀樹(弁護士・弁理士)(特許ニュース平成30年10月15日の原稿を追記・修正したものです。)
監修:吉田和彦(弁護士・弁理士)
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